NHKスペシャル「密着ドキュメント 片付け~人生をやり直す人々~」を見ました
夕食後、片付けもせずぼんやりとテレビを見ていると、母から電話が入りました。
「NHKで、こんまりやってるよ、見れば?」とのこと。
先日私がNetflixのこんまりの番組の話題を出したのを覚えていたからかな、それとも、もっと家を片付けろということかな、と思いながらとりあえず見てみることに。
すると、いろいろ考えさせられました。
番組では、家が片付かなくて困っている3人の女性が、片付けを通して人生を再生していく経過を密着取材していました。
共通していたのは、皆さん、ただ面倒で片付けないのではなく、部屋の状態がこれまでの人生と複雑に結びついて、前に進めない状態になっているということでした。
ひとりの女性が、過去のつらかった時によく着ていた服が捨てられなくて、
「あれだけ頑張ったことを、なしにしてもいいのかい?って言う感じ」
と言っていました。
私には、その気持ちがよくわかる気がしました。
私の家、表面上は片付いているんです。
使わないものは処分したり、物の置き場を見直したりして、ここ数年である程度は住みやすい家になってきていると思います。
が、物置とか、押入れの中は捨てられない思い出のものがいっぱい。
特に子供のものが捨てられず、小さかった時の服はまだ結構あります。
ノートとか、図工の作品類とか、ぬいぐるみとかも。
自分のものでは、番組の中でも取り上げていた、給与明細とか、旅行先でのレシートもばっちり置いてます。
こんまりさんの言う通り、思い出品は一番難易度が高いです。
それに、私はどうも感傷的なのか、思い出品の範囲が広いようです。
捨てようと思ったことは何度もあるけれど、捨てたらもう二度と戻らない、と思うとどうしても捨てられないんですよ。
置くところがあるし、整理して置いてるから、いいじゃない、とひとりで思っていました。
でも、誰かが読むかも知れないブログという場所で書いてみると、少し頭が客観的になるようです。
そんなの置いててどうするの、という気がしてきます。
たとえ普段目に入らなくて、生活の邪魔にもなっていなくても、古いものは無意識のうちに心に引っかかっているのかも。
不完全燃焼の過去にしばられたままだと、今現在も不完全燃焼になってしまうのかもしれません。
もしかしたら、そこから発生する一酸化炭素が、家の空気を澱ませているのかもしれません。
やっぱり処分しようかな。処分しよう。
モノがなくなっても大丈夫な自分って、どんな自分なんだろうね、と先ほどの女性にこんまり流コンサルタントの方が問いかけていたのが印象的でした。